忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

by
12月14日
皆さん、こんにちは!今日は12月14日赤穂浪士討ち入の日です
江戸時代将軍4代将軍綱吉の時代に吉良上野介(きらこうづけのすけ)に浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が殿中、松の廊下で吉良に切りかかり浅野内匠頭は切腹と言う事件があり浅野家が後に殿様の仇討ちをしたそうです12月14日は墨田区本所にある吉良家に討ち入って吉良の首をはねて殿様の墓前に供えた日に当たりますこの話しは日本の三代敵討ちの一つになっていて、吉良家に討ち入った、城台家老、大石内蔵助をはじめ47名は後に切腹なって現在も泉岳寺に眠っています吉良上野介は浅野内匠頭に常日頃嫌がらせ、まあ、いじめや恥ずかしめを行い浅野内匠頭は武士としての誇りを傷つけられていたのが原因で吉良上野介に切りかかり吉良は軽傷かたや浅野は切腹と、幕府はけんか両成敗をの法を無視し浅野に切腹を申し付けたこの片手落ちの判決に赤穂浪士が怒り敵討ちした訳ですちょっと説明が難しいですかねぇそんな日だと言う事を知っていて下さいねぇちなみに本所には首洗いの井戸が今もありますよ
PR
by 秀ちゃん Trackback()  Comment(1)
この記事にコメントする
SUBJECT
NAME
EMAIL
URL
編集用パスワード
COMMENTVodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事に関するコメント
偏屈者かな?
by やりた 2007.12.14 Fri 17:13 EDIT
やはりこの時期は赤穂浪士ですよね。でも確に浅野内匠は無念だったかもしれませんが、天皇の勅使がいる江戸城で吉良上野に切りつけるのはいかがなものかと思います。これが江戸初期の家康や秀忠の頃であったらお家断絶では済まされず、一族、皆殺しになっていたかもしれません。なにせ、大久保長安と言う人は病死してから不正が見つかり一族は殺され長安は墓から遺体を掘り起こして磔にされたくらいですから。話を戻して、当時の武士には現代人とは違う命をかけた誇りがあったのでしょうね。『命を惜しむな、名を惜しめ』って(これは戦国時代か)。現代では考えられませんが。見習わなくてはならないことも沢山あります。では。

この記事にトラックバックする
この記事へのトラックバック