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鉄道
皆さん、こんにちはです
火曜日に中学生の指導に行って練習が終わり、チューバの川〇君〈電車大好き君〉が峯村さんの車輌に電車が無いのはナゼですかって聞かれました私が彼の年齢では長距離の列車は東海道線以外は電化区間が少なくてほとんどが蒸気機関車かヂーゼルでしたへーだって
両国発安房鴨川行きはC57牽引だったし、房総でさえも非電化でした。おまけに大網でスイッチバックしてました
急行は郵便車荷物車客車食堂車などあり、楽しい編成の車輌がありました食堂車は火災の多い石炭レンジの付いた非冷房車だったりして、電気式グリルや電子レンジを備えた特急もありますが、発電機の容量が小さく電子レンジとグリルを同じに使う事が出来なかったようです
客車はもちろん非冷房車でした
天井に付いたベンチレータと呼ぶ通気口を手で動かして車内に外気を取り入れたりしましたしかし、雨が降るとベンチレータから雨水が入るのでレバーを動かして閉めたりトンネルも煙が入るので窓やベンチレータを閉めトンネルを脱けるのを待ってます
最近の車輌は窓も開かずドアも自動で味気ないかも知れませんが、走り出す列車に乗る事も可能な時代でした?客車の窓は立て付けが悪くて左右のレバーを親指で押さえ窓を上下に動かして好きな位置に止めるのですが、左右の力の加減が難しく窓が斜めになって動かなくなったり?窓を大きく開いて駅弁を買ったりもしました渋川のだるま弁当がけっこう好きだった覚えがあります
なんか懐かしいです平井の鉄橋は今より低くなっていました。現在の鉄橋になる前は荒川土手の平井駅付近で蒸気機関車の通過する写真を撮ったり見に行ってましたね
なんだかスゲー昔の話しみたいです
確かに昔の話しですが人間古いからね
ってな訳でまた明日
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by 秀ちゃん Trackback()  Comment(1)
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この記事に関するコメント
小さい頃
by やりた 2009.05.14 Thu 17:14 EDIT
自分が小学生の時、夏休みになると秋田のおじさんの家に遊びに行きました。当時はまだ、ヂーゼルでした。で、秋田に着いて乗り換えた列車はドアが手動で乗降者がドアを開けて最後の人が閉めるという列車でした。たまにドアが開いたまま走っている時があり、よく身を乗り出して父に怒られました。今考えると凄いですよね。何しろドアが開いたまま走っているんですから。よく事故が起きなかったものですね。

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